大きな地滑り発生で「沼の平」(ぬまのひら)から現在地に集落が移り住んだのは
寛文8年(1668年)ですが
明治21年6月の在所記録として「新設墓地見取絵図」が存在します。
整然と1番から92番まで名が記されております。
平成に入り、集落の家の位置と墓地の位置が似かよっている感が有ったので
現住職さんにお聞きしたところ「見取り図」が大火の消失を免れて存在している
とのことで「コピー」させて頂いたのです。
凹凸の激しい、しかも、川有り、谷有りの地形とやや平坦な墓地の地形では
満足に合致は無理ですが「谷出」「向出」「北出」「中村」に纏まっております。
当然、権利の売買、新宅、転出等の関係もあり、100%の合致は無理です。
澤田 記
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